· 北京筆記本 忍者ブログ
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北京から帰ってきましたが、がんばって細々と続けます。 よろしくお願いいたします。
2024年11月25日 (Mon)
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2011年02月24日 (Thu)
景福宮、宗廟、昌徳宮と回りましたが、
どこも言語(英語、中国語、日本語)ごとのガイドさんがいて
案内してくれる時間が決まっています。
その中の世界遺産の昌徳宮。
前回は日本語の時間が終わっていて中国語の案内時間に入ったけど
もうひとつよくわからないまま・・・・
今回はちゃんと日本語で案内してもらいました。



 昌徳宮(チャンドックン)は1405年に、正宮である景福宮(キョンボックン)の離宮として建てられた宮殿です。文禄・慶長の役ですべての宮殿が焼失しましたが、1615年に第15代王・光海君(クァンヘグン)が再建し、景福宮が再建されるまでの約270年間、正宮としての役目を果たしました。朝鮮時代の宮殿の中で王が最も長く住んだ王宮です。
 ほかの多くの王宮が戦争や火災、あるいは植民地時代の日本の支配によって本来の姿を多く失っているのに対し、昌徳宮は保存状態がよく朝鮮時代の趣や生活様式を色濃く残しています。自然との調和のとれた配置が卓越した点から、1997年にはユネスコ世界遺産にも登録されました。


    


今回ここに1989年87歳で亡くなるまで住まわれた
朝鮮最後の皇太子妃李方子さまのことを詳しく聞かされ
その時代に翻弄された人生をお気の毒に思う一方で
深く感銘を受けました。
今まで何も知らなかったこと、日本人として申しわけなく思ってしまいました。
  

 李方子さんは梨本宮家の第1王女として生まれ、裕仁親王(後の昭和天皇)のお妃候補として名前があがったこともある。日本が韓国を植民地下に置いた1920年、当時日本に人質同然に暮らしていた李垠殿下と結婚した。「内鮮一体」を進めるための2人の意思と関係なく決められた政略結婚だった。そのため「悲劇の王女」とも呼ばれた。
 李垠殿下は10歳で(人質として)日本に渡り、学習院、陸軍士官学校に進み、陸軍中将になった。戦後は王族の身分を失い、李方子さんも皇籍を離脱。日本で生活した後、韓国に渡って李垠殿下と再出発。身体障害者や知的障害者のための施設を運営するなど、福祉事業に後半生を捧げた。70年に李垠殿下は73歳、89年に李方子さんが87歳で死去した。
東洋経済日報より
                           

父親の高宗が日本の横暴を訴える密使を万国平和会議に送ったことが
伊藤博文の逆鱗に触れ、李垠殿下は、11歳の時留学と称し
実際は人質として日本に連れてこられたそうで、高宗の
「どんなことがあっても、それを表にださず、
時節がくるまで耐え抜くように」
という教えを守り、血は韓国人でありながら、日本の軍服を着、
常に日本に監視されている状態においても
誰から見ても日本の理想の皇族のようにふるまわれたということです。
昭和38年お二人で韓国で生活することを許され韓国に帰られました。
李垠殿下に韓国国民は同情的であり、
その李垠殿下を支えてくださった方子さまに韓国国民は温かく接したそうです。
お二人の結婚は政略結婚でしたが、歴史の犠牲者という点で同じ立場という点からなのか
とても仲むつまじく、殿下亡きあとも方子さまは殿下の故国である韓国で
殿下の意思を継ぎ福祉事業を行ってこられたそうです。

この場所で晩年を過ごされましたが
他の建物と違い壁や柱に色を塗っておらず
質素なたたずまいです。





 彼女の福祉活動はとくに有名で、知的障害児や肢体不自由児などの
後援活動をする為に七宝焼きが趣味だったこともあり、
ソウル七宝研究所を設立、自作品やほかにも絵画などを販売して
知的障害児施設の「明暉園」と知的障害養護学校である「慈恵学校」を
設立しました。
 そして、功績が認められ1981年には韓国政府から「牡丹勲章」
が授与されたそうです。
 また、終戦の混乱の中、韓国に残った日本人妻の為の在韓日本人婦
人会「芙蓉会」の初代名誉会長をするなど、日韓の架け橋、そして
韓国の母となるべく努力をされた方です。

  


世界遺産宗廟には
永寧殿の向かって一番右側(東側)にはお二人が祀られています。

    

近くて気軽に行ける韓国だけど
まだまだ日本人として知るべきことがたくさんある・・と痛感しました。




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2011年02月23日 (Wed)
4日間ほどソウルに行ってきました。
もう3回目のソウル・・・
今まではソウル通の友達と行ったのでほとんどついて行くだけ・・・
でも今回は逆の立場でやや緊張・・・
ハングル少し読めるようにはなったけど、それじゃ全然通用しなかった
※ちなみに頭のいい人は1日でハングル読めるようになるそうです。
 普通の人で1~2週間・・・(-_-;)
いろいろハプニングはあったけどそれでも何とか目的の場所に行けて
楽しい旅行になりました

カンジャンシジャン(広蔵市場)の屋台街、ここで食べるおでんやトッポギ最高
ここの名物おじさんも元気だった~






        
      

目的の一つ韓国コスメ~
去年TV番組メレンゲの気持ちで20歳若返る化粧品と紹介されたことから
火がついたネイチャーリパブリック[Nature Republic]
アドバンスト セルブースティング ステムセル シリーズ
容器もリニューアルされてました。
でも20歳若返ったらちょっと怖いよ~ありえないけど・・・・

眠っていた肌の細胞に輝く新しい生命を吹き入れて息が蘇るように
つやがあふれる清い肌で作るプレミアム細胞再生ラインで、
醗酵された神秘の薬用きのこ5種が肌に新しい生命を吹き入れて
美しい肌に誕生させてくれる。        
                
          

でも韓国コスメはさらに進化してた~
今一番HOTなのはカタツムリクリーム・・・
It’s skin(イッツスキン)TONY MOLY(トニーモリー)MISSHA(ミシャ)
THE FACE SHOP(ザフェイスショップ)the ETUDE House(ザ・エチュードハウス)
などがこぞってカタツムリクリームを売り出していました。
これをいろんなところでお試しで手に塗ってもらってると
手がたちまちすべすべつるつる白くなって・・・・その効果にびっくりです

カタツムリクリームは、カタツムリの養殖で有名なチリで生まれたと言われています。食用のカタツムリを輸出する農場で働く人たちの手が、他の肌の状態に比べて良いことから、カタツムリの粘液の研究が始まりました。その結果、カタツムリの粘液には人間の肌再生を手伝う「ムシン」や「コンドロイチン」などの成分が含まれていることが確認されたのです。その後、カタツムリの粘液を含む化粧品が開発され、肌の老化防止や弾力強化、肌トラブルの改善などの効果があると注目されています。


シートマスクもさらに進化し、ちょっと高めだけどハイドロゲルのもの
(これは長い間顔に乗せててもいいところがGOOD!!)や
各社種類がさらに増えて選ぶのが大変~



やっぱ韓国コスメすごいわ~
そればかりか韓国コスメ店のお姉さんの日本語力にも感心させられます。
よく韓国人の友達が・・・
「韓国は何もしないで待ってても誰も来てくれない国」っていうけど
このコスメの進化や語学力が韓国人の努力を物語ってますね。
お客さんがいない間は密かに勉強してるんです
韓国語できなくてもソウルは日本語通じるから・・・なんて言ってたんじゃ
日本の若者、すぐに追い越されるな~って気がします






      


韓国と言えば買いたかったもの・・・五味子(オミジャ)!



五味子は、中薬(漢方薬)として呼吸器や腎機能をしっかりとさせ、循環器と安定させる効能を持っています。また、長引く咳の症状の緩和にも効果があります。この「五味子」を一晩水に浸して養分を浸出させて、蜂蜜や甘味料を加えていただくお茶が「オミジャ茶」その名のとおり甘み・酸味・苦み・辛み・塩味の5つの味をあわせもっていて、特に甘みと酸味が一番強く感じられます。その日の体調によって感じられる味が違うといわれる不思議なお茶です。





南大門の市場で見つけたのでたっぷり買ってきました!!



2011年02月19日 (Sat)
二胡検定試験後旅行に行っていたので、すでに5日もたってしまいましたが
14日に検定試験8級終了しました~

                      

8時半集合の検定試験・・・それも受験番号1番なので
朝15分ほど軽く練習した後、手袋にカイロを貼って
緊張の中、そそくさと会場中国音楽学院に向かいました
この緊張感・・・学生時代のピアノの試験を思い出す・・・・



15分前に着いたのにもうみんな集まってる
自分の名前を確かめて・・・・
「午前二胡受験番号1番・・・」
あるあるしっかり私の名前!!午前の受験者は40名、
二胡の試験は二日間にわたってあるので二胡受験者は
総勢受験者150名以上・・・
ほとんどが二文字か三文字の中国人の名前の中、
日本人の名前は目立つんですよね~
40名中もうお一人日本人が・・・・

 

スローガン好きの中国・・・ここでもしっかり掲げられています。
端正な態度で試験に臨み試験規則をしっかり守ろう・・ってな感じかな




  
そして番号を呼ばれたら、階段を上がって受験の部屋に・・・・。
「二胡受験番号1番から10番
これが結構怖いのよね・・・受験の度に
女性警備員「あんた父兄でしょ??」ってまるで怒られてるみたい
私「いえ・・・私が受験生なもんで・・・・
警備員「じゃあさっさと上がって
子どもに混じって遠慮がちに階段を上る・・・



受験票チェックされ試験の部屋へ・・・。



えー


私、受験番号1番なのにもう誰か受験者用のいすに座ってる
なんでもこの子は今日用事があるから最初に弾く・・・ということで
勝手に私の受験番号はその場で2番に書き換えられました
1番・・・ってことで心の準備があったのに

試験官の先生お二人・・・
一人は以前にも試験官だった先生で、ちょっと安心・・・

そしてついに私の番が・・・
練習曲は、気持ちは結構落ち着いてたけど最初は指がしっくりいかず
無駄な動きが多くて自分でも焦ったけど
だんだん普通に動くようになり何とか間違えずに弾けました

曲は・・・まず葡萄熟了・・・
曲に乗るまでに時間がかかり、乗ってきたところで
「好!!(そこまで)」と切られちょっと悔いが残る~
洪湖人民・・・は自分でもびっくりするくらい気持ちが入ってしまって
最初の所は今までで一番うまく弾けた・・・・(勘違いかな
前半は途中で止められ、後半速いテンポの所からまた弾かされましたが
一番苦手なところの前で「好!!」と切ってくれたので
何とか切り抜けました~

                             

何人かの子供の演奏を聞いて・・・
私も途中で休んだとは言え、二胡を始めて7年が過ぎ、
小学生や中学生の受験生と同じくらいの二胡歴になるわけだけど
快弓(16分音符以上)の指の動きや、左指の弦を抑える時の
指の開きなどの柔らかさは絶対にかなわないし、もう上達はそんなに望めないと思う
それはスポーツでも他の楽器でも同じだけどやっぱり小さい時からやらないと
無理なところもある。
でもその代わり、音程(子どもの中にももちろん完璧な音程の子もいるけど)
をさらに正確に・・・
そして曲を深く理解してより豊かな曲想を付けることで
なんとか大人の味を出し、カバーする以外にないかなーと改めて思いました。

それにしても試験が終わった時のこの爽快感や達成感が
単純にも、また懲りずに次受けよう!!という思いを掻き立てるのでした
あと残すところ9級と10級(これは演奏家レベルで
かなりの技術と心構えが要求されるのでアマチュアレベルを超えています)。
目標としては9級まで・・・

夏に受けるかどうかは置いといて・・・
さあ!!これからはいろんな曲弾ける~

              

2011年02月13日 (Sun)


もう十年以上の付き合いになる元中国語の先生・・・。
私が習ったのはたった数カ月だけど、
その後息子も教えてもらい
日本に帰ってからもずっとMSNのメッセンジャーで連絡取りあってました。
今は娘が時々先生の家で教えてもらっていて、
行くと何時間も帰ってこず、必ずご飯をごちそうになって帰ってくる
私と同年代ということもあり、北京のお母さん的なお方・・・
今は大学で留学生に中国語を教えています。



今回北京で再会して・・・・なぜだか私と先生、数カ月ごとに、
ご飯をご馳走しあうという間柄になっています。
というのも中国の人は割り勘(中国語では割り勘をAA制と言います。
なぜAA制っていうかわかりません
をメンツがないと嫌う人が多く(韓国人もそうですが)、
レストランで日本人の奥さんたちが計算機まで使って割り勘にしてると、
陰で笑ってるらしいです
最初に先生がご馳走してくれて、それに私がお返し、そしてまた先生が・・・
という延々と繰り返しになってるというわけです。
なかなか日本人は(特に主婦は)カッコよくおごる・・・なんてできないけど
順番に巡ってくる当番みたいなもので、次どこにしよう~なんて考える楽しみもあり
私にとってはなかなか行けないローカルな店に行けるので、
今では心待ちにしています
中国の人の中には、合理的で負担のない割り勘の良さに目覚め
日本人に習えと割り勘にし始めてる人もぼちぼち増えてるとか・・・・。
どっちがいいとは言えません。
中華料理と日本食の注文の仕方にも関係しているかもしれないことですし・・・・。
           

  
先生が今回お得なネットのクーポン爽団(日本で言うとミナワリとかグルーポン
みたいな・・やっぱり庶民は物価高騰にこうやって
立ち向かってるんんですね!!)
で予約してくれた店は
「私たちの年齢にピッタリのお肌にいい料理よ~」というので楽しみに・・・・。
日本じゃあり得ないけどこの洗面器みたいな鍋(ほんとに洗面器?)
普通です!


貴州苗山酸湯・・という料理、一見四川料理の水煮魚にも見えますが
これは貴州名物のトマト味の酸っぱいスープがベースになり
烏江魚やモヤシを入れた鍋料理。
魚を食べ終わったら貴州名物米豆腐、貴州こんにゃくや野菜などを入れたあと
ソーメンっぽい龍須面を締めに入れます。
この烏江魚は、実はナマズの仲間。
最初に聞いたらこれまた引いてたけど、
ほとんど食べ終わった後に聞いてよかった~
ぷるるんとしたこの触感が酸っぱいスープとよく合いました。
まさにコラーゲンの宝庫って感じ
実際日本で売られてるコラーゲンもなまずから・・って多いみたい


  
先生と話していたら
中国人の日本のもの人気ベスト3というのがあり、
粉ミルク、洗濯洗剤、日本の米』・・・ということ。
粉ミルクはまだ結婚したての子どものいない娘や息子のために、
「買ってきて~」と、
日本に行く人に頼む子煩悩な親御さんたちもいるそうで・・・・。

これが烏江魚この魚の口にトマトの盛り付けも中国ではいたって普通・・・・
  





2011年02月10日 (Thu)
      

今日はこの冬初めての雪でした~
夜通し降ったみたいですが昼過ぎまでちらちらと・・・ 
ずっと暖かい春節だったのに・・・・   

あちこちで雪の中記念撮影してる人、多数。
まだまだ春節気分の北京です


今日は月曜日の検定前の最後のレッスン・・・
今更レッスン受けても不安になるかなと思いながらのレッスンでしたが
得るものは大きかったです

先生の前で、模擬検定4曲暗譜で

まず練習曲はとりあえず練習通り弾けてちょっと自信が
曲は・・「洪湖人民・・・」が最後の速いテンポで
崩れてしまいぼろぼろに・・・
葡萄熟了」は出始めで曲に乗れないところはあったけど
途中で気を取り直して何とか最後まで・・・・

先生は試験前だから細かいことは全く注意なし。ただ・・・
自信持って弾ける曲を先に弾き、ちょっと不安要素のある曲をあとに・・・。
心理的にその方が安心して弾ける・・・ということで順番を換えることに。

そして今日崩れた速いテンポの所は
16分音符のなかでも大切な音をもう一度よく把握し、集中的に練習し、
例え崩れそうになってもその音は外さず乗り切って
曲の流れを止めないこと。
当日は慌てず自分自身をコントロールして弾くこと。


そんな注意をいただいて
もう練習してもおんなじだ~なんて投げやりになってましたが
またよーして気になってきましたよ~
この雪のようにまた気持ち新たに練習練習


      


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