北京から帰ってきましたが、がんばって細々と続けます。
よろしくお願いいたします。
以前北京に住んでいた友が北京に・・・・
北京ではたった一日で次の日は香港へ・・・というので
北京在住の友と三人で濃ーい一日を過ごし新旧北京を堪能
まずは南鑼鼓巷からスタート
鐘楼・鼓楼を通り越し
煙袋斜街を通って後海へ・・・・
テンプルレストランでランチをして・・・
歩いて景山公園へ・・・北京で一番好きな場所の一つ。
ちょうど牡丹祭りで見ごろでした。
そのあと頤和園の東門に隣接するアマンサマーパレス北京でお茶。
懐かしい話に花が咲き
ゆったりした時を・・・
市内に戻って雲南料理を食べて・・・
国貿三期80階で夜景を楽しみ・・・
夏の再会を約束したのでした~
小学校一年生の時同級生だった子どもたちももう大学生。
月日のたつのは本当に早いね・・・
彼女のおかげで
思いがけず短い北京の春を楽しめました゚・:,。★\(^-^ )♪ありがと♪( ^-^)/★,。・:・゚
北京ではたった一日で次の日は香港へ・・・というので
北京在住の友と三人で濃ーい一日を過ごし新旧北京を堪能
まずは南鑼鼓巷からスタート
鐘楼・鼓楼を通り越し
煙袋斜街を通って後海へ・・・・
テンプルレストランでランチをして・・・
歩いて景山公園へ・・・北京で一番好きな場所の一つ。
ちょうど牡丹祭りで見ごろでした。
そのあと頤和園の東門に隣接するアマンサマーパレス北京でお茶。
懐かしい話に花が咲き
ゆったりした時を・・・
市内に戻って雲南料理を食べて・・・
国貿三期80階で夜景を楽しみ・・・
夏の再会を約束したのでした~
小学校一年生の時同級生だった子どもたちももう大学生。
月日のたつのは本当に早いね・・・
彼女のおかげで
思いがけず短い北京の春を楽しめました゚・:,。★\(^-^ )♪ありがと♪( ^-^)/★,。・:・゚
芸術の秋だから
この連休中音楽会に行こうと計画していたけど
行きたい音楽会なし・・・・
それで、素敵なレストラン+美術館コースに変更!
レストランに早めに着いてしまったので
時間つぶしに周りをぶらぶら・・・・しようと思ったのに
入った道は・・・!?(* □ )~~~~~~~~ ゚ ゚
この界隈、国内から来る観光ツアー用のホテルや
団体客が食事をするレストランも多く、(餃子屋さん空席待ち)
公共トイレには長蛇の列が・・・w( ̄o ̄)w
北京名物サンザシの串刺し・糖葫芦(タンフールー)にもお客が群がる・・・
商売大繁盛
ひとたびこの道を抜けるとさきほどの喧騒がうそのような静かな胡同。
故宮の裏あたりという立地だけにかつてはお屋敷街だったことがうかがえる…
外から見たところひときわ広い四合院。立派な木も
地位の高い人が住んでいたことを物語っている。
丸い門石ということは当時は武官が住んでいた四合院だろうか・・・
なんていう話をしていたら、突然おじさんが話しかけてきた・・・
しまった~無防備に日本語でペラペラしゃべってたから、も、もしや・・・
その不安に反しておじさんは
「ここにかつて日本人が住んでたんだよ」って・・・・ε=( ̄。 ̄;A フゥ…
ダメもとで聞いてみた・・中参観していいですかって
快く承諾してくれたばかりか中の案内までしてくれた。
この四合院は、文革、さらには唐山大地震の影響で
修復を余儀なくされ、その修復後、日本人がしばらく住んでいたことがあるという。
昔この辺りは(今海淀地区にある)最高学府北京大があった文教地区で
(旧北京大は今も残っています)
ここは一時北京大の宿舎だったこともあるそうです。
この近くには大きい出版社があり、もともとはそこで北京大の教材などを
印刷していたということ。
私たちを近所の人にまで紹介してくれた・・・・
家の前にはひょうたん・・・なつかしかった~
今いったいここに何家族が住んでいるのか
この方も多すぎて知らないというほど。
この電気メーターでその数の多さがうかがえる。
かつてはこのような(想像)四合院であったんだろうけど
その中庭や廊下にはほったて小屋みたいな家が何軒も立てられ・・・
こうやって四合院に何家族もが住んでいる住居を四合院とは呼ばず、
大雑院というそうだけど
ほとんど面影はないようでも、
それでもほんのちょっとの名残から古に思いを馳せることができる。
おじさん(人-)謝謝(-人)謝謝、
かつてここに住んでいた日本人という方にも(人-)謝謝(-人)謝謝
こんな時期にこんなに親切にしてもらって
このおじさんの中の日本人のイメージはきっとその人のイメージなんだろうから
テンプルレストランのこと書こうと思ったら
長くなっちゃって・・・あらためて・・・
ポチリン(^人^)感謝♪
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この連休中音楽会に行こうと計画していたけど
行きたい音楽会なし・・・・
それで、素敵なレストラン+美術館コースに変更!
レストランに早めに着いてしまったので
時間つぶしに周りをぶらぶら・・・・しようと思ったのに
入った道は・・・!?(* □ )~~~~~~~~ ゚ ゚
この界隈、国内から来る観光ツアー用のホテルや
団体客が食事をするレストランも多く、(餃子屋さん空席待ち)
公共トイレには長蛇の列が・・・w( ̄o ̄)w
北京名物サンザシの串刺し・糖葫芦(タンフールー)にもお客が群がる・・・
商売大繁盛
ひとたびこの道を抜けるとさきほどの喧騒がうそのような静かな胡同。
故宮の裏あたりという立地だけにかつてはお屋敷街だったことがうかがえる…
外から見たところひときわ広い四合院。立派な木も
地位の高い人が住んでいたことを物語っている。
丸い門石ということは当時は武官が住んでいた四合院だろうか・・・
なんていう話をしていたら、突然おじさんが話しかけてきた・・・
しまった~無防備に日本語でペラペラしゃべってたから、も、もしや・・・
その不安に反しておじさんは
「ここにかつて日本人が住んでたんだよ」って・・・・ε=( ̄。 ̄;A フゥ…
ダメもとで聞いてみた・・中参観していいですかって
快く承諾してくれたばかりか中の案内までしてくれた。
この四合院は、文革、さらには唐山大地震の影響で
修復を余儀なくされ、その修復後、日本人がしばらく住んでいたことがあるという。
昔この辺りは(今海淀地区にある)最高学府北京大があった文教地区で
(旧北京大は今も残っています)
ここは一時北京大の宿舎だったこともあるそうです。
この近くには大きい出版社があり、もともとはそこで北京大の教材などを
印刷していたということ。
私たちを近所の人にまで紹介してくれた・・・・
家の前にはひょうたん・・・なつかしかった~
今いったいここに何家族が住んでいるのか
この方も多すぎて知らないというほど。
この電気メーターでその数の多さがうかがえる。
かつてはこのような(想像)四合院であったんだろうけど
その中庭や廊下にはほったて小屋みたいな家が何軒も立てられ・・・
こうやって四合院に何家族もが住んでいる住居を四合院とは呼ばず、
大雑院というそうだけど
ほとんど面影はないようでも、
それでもほんのちょっとの名残から古に思いを馳せることができる。
おじさん(人-)謝謝(-人)謝謝、
かつてここに住んでいた日本人という方にも(人-)謝謝(-人)謝謝
こんな時期にこんなに親切にしてもらって
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