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北京から帰ってきましたが、がんばって細々と続けます。 よろしくお願いいたします。
2024年04月29日 (Mon)
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2011年10月04日 (Tue)
北京在住の韓国人の登山同好会は十数団体・・・とにかく韓国人は山が好きです。
その中の一つ、友人が所属している登山同好会の方が
企画する山登りツアーがいつもすごい人気で、
今回この太行大峡谷に一人キャンセルが出たというので
「行く??」と聞かれふたつ返事で「行く行く!!」と・・・。



林州太行大峡谷は河南省西北部、南太行山の東山麓の山西、河南、河北の
三省が交わる所にあり、長さ50キロにわたります。
大峡谷の周囲は、断崖が高く切り立ち、高台や絶壁がいくつもあり、
アジア一の長さを誇る滝をはじめ400あまりの景勝地があるということです。
何億年も前の地殻の激しい変動によって、
この独特な壮大な地形が形成されたそうです。

 

その主催者の方は中国の山を知り尽くしていて
この太行大峡谷は今回で二十数回目だそう・・
現地の人もこの方には一目置いている感じでした。
このツアーの人気の秘密は、もちろん彼が経験を生かしてガイドしてくれることと
値段が普通のツアーよりかなり安いこと、
そしてこの方の奥さんが北京で韓国料理屋さんをやっていることから
キムチや韓国料理の材料をわざわざ持参して、
中華+韓国料理が食べれることあ、あと韓国のお酒もね・・・・

 
 
 
  
 
 
 

こう見えてもこれれっきとしたレストランこれは厨房 
 
     
     

      
      
      

北京からバスで8時間・・・年配の方や子どももいるので
全てを登るんじゃなく、見どころの近くまで車で行っては
数時間登ったり下ったり・・・・。
そうはいってもかなりスリルのある桟道やつり橋も・・・
でもなんとか歩けました
言葉では言い表せない自然の壮大さに感動し、
韓国人のフレンドリーなところや明るさにも感動して
申し込んだ後に、孤独かも・・・とちょっと後悔したことはうそのよう、
チングがいっぱいできました
この同好会は十数年雨が降ろうが雪が降ろうが毎週週末
北京近郊の山に登り続けているそうで
今後も機会があれば参加させてもらおうと思ってます。

             
               山では言葉は必要ないね


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2011年04月13日 (Wed)
3月でもまだまだ寒かった胶州・・・・・。
農村の家には必ず暖炕っていうオンドルみたいなのがあって
以前には北京にもあったそうだけど今はほとんど見かけないようです。

    

ここで温められた煙が、熱が通りやすく冷めにくい石を張った床の下を通って、
部屋全体を暖める・・・・
なんだかホカホカやさしいぬくもりなんです。

              

部屋はたくさんあっても暖炕があるのはこの部屋だけ・・・。
当然家族は食事はここで、食事の後もみんな自然に
この床の上や床の周りに集まって
瓜子(向日葵の種)を食べてはいろいろ話して、
いつも笑いが絶えなく本当に仲がいい・・・・。
どの人もこの生活に満足して幸せでしょうがないって顔してる・・・。

今日本で盛んに節電のためにリビングにみんな集まって・・
なんてにわかに節電喚起しているのを、まさに実践してる感じ。
こちらの二人は新婦の双方のおばあちゃんたち。
父方のおばあちゃんはここに、もう一人はすぐ近所に住んでいます。

料理にはプロパンガスもあるけど、大体はこのとうもろこしの
芯の部分を燃料にしたかまどが主・・・。
農家の屋上にはどの家もほとんどソーラーパネルがあり、
進んでるって思いきや、普段は井戸水しか使わない・・・。
食器洗うのも井戸水、洗濯も井戸水で手洗い・・・
洗濯機ちゃんとあるのにね・・・。
洗顔も歯磨きも水道に慣れている者にとってはちとつらかった・・・
あ・・トイレはもちろん外です
といっても、小さいころ母の実家が農家で、こんな感じの暮らしだったこと・・・
懐かしく思い出しました。

            

    

この赤いビニールにくるまれたもの・・・
山東名物の人の頭ほどあるマントウ
(饅頭、小麦粉に酵母を加えて作る蒸しパン)です。
これはお祝い仕様
お祝いをくれた人へのお返しなんかに利用するらしい・・・・。

最後の日には、近所の人や親戚の人たちも集まって
一緒に餃子を作って食べました。

     

             

北京に帰る時はこのでっかいマントウと魚のマントウ、ここで作ってる落花生・・
結婚祝いの喜糖(お祝いの飴)を山ほど持たせてくれました
魚の形のお母さん手作りのマントウ、
魚の発音=余るの発音であることから
富がたくさんあって使えきれない・・・と解釈し、
昔から春節や結婚のお祝いには魚は欠かせませんが
特にこの魚の形のマントウは胶州では欠かせないものだそうです。


     
        
    

みんなで青島空港まで見送りに来てくれて
(空港で飛行機が見たいっというのもあったみたい(笑))
その暖かさに、お別れした後はじゅわっときて二度と振り向けなかった・・・・
ここでの数日・・足ることを知らない北京の一部の成金の人たちと比べては
世界一幸せな国と言われるバヌアツとかブータンの事なんかも
ふと思い出し、本当の幸せって何かな・・・と考えさせられました。




2011年04月12日 (Tue)
先月のことだけど
山東省青島の近く、胶州ってところに行ってきました。



以前日本の会社の工場に働きに来ている中国の子たちに
日本語を教えていたんですが、
ちょうどその時20歳前後だった彼女たちが今は適齢期・・・。
その中の一人が胶州で結婚するので、
是非式に出て欲しいというお誘いがあり、出席してきました。

大都会の青島から車で1時間ちょっとの胶州・・・・・。
胶州の街から少し離れたところにある彼女の家は農家で、
私が着いた昼過ぎにはもう親戚や近所の人たちが集まって
結婚式前日の前祝いが始まっていました。
男性女性に分かれて大盛り上がり・・・。
朝早くから、家に料理人が来て延々と料理を作っているそうで
次から次へと料理が運ばれます
こんなときに、デジカメ忘れて携帯で







胶州湾に近いので海鮮がとてもおいしかったけど
これをすごくすすめられて困った
土から出てきたせみの幼虫の炒め物・・・高タンパクなんだって!でも無理~

次の日はホテルで結婚式・・・。
でもそれ以外にも新郎の家でもう一度結婚式があるということで
農村での結婚・・は、私たちの想像をはるかに超える一大イベントのようです。

彼女の家で2泊させてもらって農村生活体験(笑)
日本の農村とはずいぶんイメージが違ってタイムスリップしたみたい・・・。
家は広くて新しいけど、作りは簡単で70万~100万日本円くらいで建つそう・・・
一人っ子政策とはいえ、農村は男の子ができるまで産んでもいいので
女、女、男の姉弟の長女の彼女は、日本でしっかり働いて
この家を建てるのに大きく貢献したらしいです。
各家の門にはそれぞれにお守りのお札が・・・。








家の前のがちょうは泥棒よけで、知らない人が入ろうとするとつつくらしい・・・

2011年02月24日 (Thu)
景福宮、宗廟、昌徳宮と回りましたが、
どこも言語(英語、中国語、日本語)ごとのガイドさんがいて
案内してくれる時間が決まっています。
その中の世界遺産の昌徳宮。
前回は日本語の時間が終わっていて中国語の案内時間に入ったけど
もうひとつよくわからないまま・・・・
今回はちゃんと日本語で案内してもらいました。



 昌徳宮(チャンドックン)は1405年に、正宮である景福宮(キョンボックン)の離宮として建てられた宮殿です。文禄・慶長の役ですべての宮殿が焼失しましたが、1615年に第15代王・光海君(クァンヘグン)が再建し、景福宮が再建されるまでの約270年間、正宮としての役目を果たしました。朝鮮時代の宮殿の中で王が最も長く住んだ王宮です。
 ほかの多くの王宮が戦争や火災、あるいは植民地時代の日本の支配によって本来の姿を多く失っているのに対し、昌徳宮は保存状態がよく朝鮮時代の趣や生活様式を色濃く残しています。自然との調和のとれた配置が卓越した点から、1997年にはユネスコ世界遺産にも登録されました。


    


今回ここに1989年87歳で亡くなるまで住まわれた
朝鮮最後の皇太子妃李方子さまのことを詳しく聞かされ
その時代に翻弄された人生をお気の毒に思う一方で
深く感銘を受けました。
今まで何も知らなかったこと、日本人として申しわけなく思ってしまいました。
  

 李方子さんは梨本宮家の第1王女として生まれ、裕仁親王(後の昭和天皇)のお妃候補として名前があがったこともある。日本が韓国を植民地下に置いた1920年、当時日本に人質同然に暮らしていた李垠殿下と結婚した。「内鮮一体」を進めるための2人の意思と関係なく決められた政略結婚だった。そのため「悲劇の王女」とも呼ばれた。
 李垠殿下は10歳で(人質として)日本に渡り、学習院、陸軍士官学校に進み、陸軍中将になった。戦後は王族の身分を失い、李方子さんも皇籍を離脱。日本で生活した後、韓国に渡って李垠殿下と再出発。身体障害者や知的障害者のための施設を運営するなど、福祉事業に後半生を捧げた。70年に李垠殿下は73歳、89年に李方子さんが87歳で死去した。
東洋経済日報より
                           

父親の高宗が日本の横暴を訴える密使を万国平和会議に送ったことが
伊藤博文の逆鱗に触れ、李垠殿下は、11歳の時留学と称し
実際は人質として日本に連れてこられたそうで、高宗の
「どんなことがあっても、それを表にださず、
時節がくるまで耐え抜くように」
という教えを守り、血は韓国人でありながら、日本の軍服を着、
常に日本に監視されている状態においても
誰から見ても日本の理想の皇族のようにふるまわれたということです。
昭和38年お二人で韓国で生活することを許され韓国に帰られました。
李垠殿下に韓国国民は同情的であり、
その李垠殿下を支えてくださった方子さまに韓国国民は温かく接したそうです。
お二人の結婚は政略結婚でしたが、歴史の犠牲者という点で同じ立場という点からなのか
とても仲むつまじく、殿下亡きあとも方子さまは殿下の故国である韓国で
殿下の意思を継ぎ福祉事業を行ってこられたそうです。

この場所で晩年を過ごされましたが
他の建物と違い壁や柱に色を塗っておらず
質素なたたずまいです。





 彼女の福祉活動はとくに有名で、知的障害児や肢体不自由児などの
後援活動をする為に七宝焼きが趣味だったこともあり、
ソウル七宝研究所を設立、自作品やほかにも絵画などを販売して
知的障害児施設の「明暉園」と知的障害養護学校である「慈恵学校」を
設立しました。
 そして、功績が認められ1981年には韓国政府から「牡丹勲章」
が授与されたそうです。
 また、終戦の混乱の中、韓国に残った日本人妻の為の在韓日本人婦
人会「芙蓉会」の初代名誉会長をするなど、日韓の架け橋、そして
韓国の母となるべく努力をされた方です。

  


世界遺産宗廟には
永寧殿の向かって一番右側(東側)にはお二人が祀られています。

    

近くて気軽に行ける韓国だけど
まだまだ日本人として知るべきことがたくさんある・・と痛感しました。




2011年02月23日 (Wed)
4日間ほどソウルに行ってきました。
もう3回目のソウル・・・
今まではソウル通の友達と行ったのでほとんどついて行くだけ・・・
でも今回は逆の立場でやや緊張・・・
ハングル少し読めるようにはなったけど、それじゃ全然通用しなかった
※ちなみに頭のいい人は1日でハングル読めるようになるそうです。
 普通の人で1~2週間・・・(-_-;)
いろいろハプニングはあったけどそれでも何とか目的の場所に行けて
楽しい旅行になりました

カンジャンシジャン(広蔵市場)の屋台街、ここで食べるおでんやトッポギ最高
ここの名物おじさんも元気だった~






        
      

目的の一つ韓国コスメ~
去年TV番組メレンゲの気持ちで20歳若返る化粧品と紹介されたことから
火がついたネイチャーリパブリック[Nature Republic]
アドバンスト セルブースティング ステムセル シリーズ
容器もリニューアルされてました。
でも20歳若返ったらちょっと怖いよ~ありえないけど・・・・

眠っていた肌の細胞に輝く新しい生命を吹き入れて息が蘇るように
つやがあふれる清い肌で作るプレミアム細胞再生ラインで、
醗酵された神秘の薬用きのこ5種が肌に新しい生命を吹き入れて
美しい肌に誕生させてくれる。        
                
          

でも韓国コスメはさらに進化してた~
今一番HOTなのはカタツムリクリーム・・・
It’s skin(イッツスキン)TONY MOLY(トニーモリー)MISSHA(ミシャ)
THE FACE SHOP(ザフェイスショップ)the ETUDE House(ザ・エチュードハウス)
などがこぞってカタツムリクリームを売り出していました。
これをいろんなところでお試しで手に塗ってもらってると
手がたちまちすべすべつるつる白くなって・・・・その効果にびっくりです

カタツムリクリームは、カタツムリの養殖で有名なチリで生まれたと言われています。食用のカタツムリを輸出する農場で働く人たちの手が、他の肌の状態に比べて良いことから、カタツムリの粘液の研究が始まりました。その結果、カタツムリの粘液には人間の肌再生を手伝う「ムシン」や「コンドロイチン」などの成分が含まれていることが確認されたのです。その後、カタツムリの粘液を含む化粧品が開発され、肌の老化防止や弾力強化、肌トラブルの改善などの効果があると注目されています。


シートマスクもさらに進化し、ちょっと高めだけどハイドロゲルのもの
(これは長い間顔に乗せててもいいところがGOOD!!)や
各社種類がさらに増えて選ぶのが大変~



やっぱ韓国コスメすごいわ~
そればかりか韓国コスメ店のお姉さんの日本語力にも感心させられます。
よく韓国人の友達が・・・
「韓国は何もしないで待ってても誰も来てくれない国」っていうけど
このコスメの進化や語学力が韓国人の努力を物語ってますね。
お客さんがいない間は密かに勉強してるんです
韓国語できなくてもソウルは日本語通じるから・・・なんて言ってたんじゃ
日本の若者、すぐに追い越されるな~って気がします






      


韓国と言えば買いたかったもの・・・五味子(オミジャ)!



五味子は、中薬(漢方薬)として呼吸器や腎機能をしっかりとさせ、循環器と安定させる効能を持っています。また、長引く咳の症状の緩和にも効果があります。この「五味子」を一晩水に浸して養分を浸出させて、蜂蜜や甘味料を加えていただくお茶が「オミジャ茶」その名のとおり甘み・酸味・苦み・辛み・塩味の5つの味をあわせもっていて、特に甘みと酸味が一番強く感じられます。その日の体調によって感じられる味が違うといわれる不思議なお茶です。





南大門の市場で見つけたのでたっぷり買ってきました!!



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