北京から帰ってきましたが、がんばって細々と続けます。
よろしくお願いいたします。
迷っていた夏の9級の試験を受けることに決めて指定曲紅梅随想曲に
挑んでいます。
これで連続6,7,8,9級と受け続けていることになりますが
9級が最後の級・・・われながらよく頑張ってきたな~と
紅梅随想曲は恐ろしく長い二胡協奏曲でおまけに途中でなんと15回転調してる・・・
趙先生に「あんな難しい曲が私に弾けますかね?」と尋ねてみたら、
あっけなく「簡単だよ、弾ける。」と・・・。
(簡単っていうのは多分私にとってはじゃなく先生にとっては・・という意味らしい)
弾けば弾くほど壁にぶち当たって自分の技術の未熟さに愕然としてしまいます
二胡のような民族楽器は普通数字譜で楽譜を表しますが・・
今レッスンで使っている練習曲の教材は、
趙先生が去年暮れに出した視奏と現代技巧。
これには今後二胡を学習する上での五線譜の必要性が書かれていて
数字譜と五線譜両方の楽譜が載ってるんです。
私のような固定ドでずっとやってきた者にとっては
なんとありがたい話でしょうか・・
それにやる気のなくなるような昔風の練習曲が多い中、メロディーがきれいで
バイオリン曲かと錯覚するほど・・・♫
二胡が世界的な楽器となるための貴重な教材となる気がしました。
日本でも輸入販売してましたこっちでは千円もしないけど・・・
同じ曲だけど数字譜と五線譜
数字譜での視奏はありえないけど五線譜ならなんとか・・
紅梅随想曲も五線譜の楽譜(二胡とピアノの譜面)をもらって
数字譜の譜読み地獄からはなんとか解放されました(笑)
それにしても二胡のピアノ伴奏は楊琴の伴奏をもとに編曲しているので
難易度相当高いですね
挑んでいます。
これで連続6,7,8,9級と受け続けていることになりますが
9級が最後の級・・・われながらよく頑張ってきたな~と
紅梅随想曲は恐ろしく長い二胡協奏曲でおまけに途中でなんと15回転調してる・・・
趙先生に「あんな難しい曲が私に弾けますかね?」と尋ねてみたら、
あっけなく「簡単だよ、弾ける。」と・・・。
(簡単っていうのは多分私にとってはじゃなく先生にとっては・・という意味らしい)
弾けば弾くほど壁にぶち当たって自分の技術の未熟さに愕然としてしまいます
二胡のような民族楽器は普通数字譜で楽譜を表しますが・・
今レッスンで使っている練習曲の教材は、
趙先生が去年暮れに出した視奏と現代技巧。
これには今後二胡を学習する上での五線譜の必要性が書かれていて
数字譜と五線譜両方の楽譜が載ってるんです。
私のような固定ドでずっとやってきた者にとっては
なんとありがたい話でしょうか・・
それにやる気のなくなるような昔風の練習曲が多い中、メロディーがきれいで
バイオリン曲かと錯覚するほど・・・♫
二胡が世界的な楽器となるための貴重な教材となる気がしました。
日本でも輸入販売してましたこっちでは千円もしないけど・・・
同じ曲だけど数字譜と五線譜
数字譜での視奏はありえないけど五線譜ならなんとか・・
紅梅随想曲も五線譜の楽譜(二胡とピアノの譜面)をもらって
数字譜の譜読み地獄からはなんとか解放されました(笑)
それにしても二胡のピアノ伴奏は楊琴の伴奏をもとに編曲しているので
難易度相当高いですね
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今週は初めての趙先生のレッスンに中央音楽学院へ・・・。
新しい建物と古い建物が混在していて、
西洋の楽器と中国民族楽器の音が混じり合って響く・・・
懐かしくもあり、新鮮でもあり、
(〇十数年前はそう言えば自分も音大生だったんだ~)
凛として楽器を持ち歩く学生たちを見ると、
身の引き締まるような感覚を味わえました。
中央音楽学院は音楽最高学府として君臨しているけど
中央音楽学院としての歴史はそれほど古くなく、
1920年代から40年代のいくつかの前身である音楽系学校の流れを受け継いで
1958年に清醇王府(光緒帝出生地跡)に場所を移したということ。
附属高校は全国の芸術系学校では唯一国家重点高校に指定されているそうです。
中国では音大が歴史的な建物の中にあるというのも珍しくないようで、
民族楽器の位置づけも日本とは大きく違う気がするんです。
少年宮(児童館みたいなもの)として音楽活動などに使われています。
大学の中のコピーサービス
ここは音楽堂。主に民族楽器の演奏会が開かれます。
卒業演奏会等の演奏会が目白押しです。
新しい建物と古い建物が混在していて、
西洋の楽器と中国民族楽器の音が混じり合って響く・・・
懐かしくもあり、新鮮でもあり、
(〇十数年前はそう言えば自分も音大生だったんだ~)
凛として楽器を持ち歩く学生たちを見ると、
身の引き締まるような感覚を味わえました。
中央音楽学院は音楽最高学府として君臨しているけど
中央音楽学院としての歴史はそれほど古くなく、
1920年代から40年代のいくつかの前身である音楽系学校の流れを受け継いで
1958年に清醇王府(光緒帝出生地跡)に場所を移したということ。
附属高校は全国の芸術系学校では唯一国家重点高校に指定されているそうです。
中国では音大が歴史的な建物の中にあるというのも珍しくないようで、
民族楽器の位置づけも日本とは大きく違う気がするんです。
少年宮(児童館みたいなもの)として音楽活動などに使われています。
大学の中のコピーサービス
ここは音楽堂。主に民族楽器の演奏会が開かれます。
卒業演奏会等の演奏会が目白押しです。
ブログは二胡筆記本@北京(二胡ノート@北京)なのに
二胡のこと、ここのところ書いていませんでした
震災以来、二胡を弾く気がしなくなっていたのでした。
所詮二胡はお気楽な趣味の範疇・・・って気持ちがあり
弾いてはいけないような気持になっていたんだと思います。
そんなところに爪周囲炎になり、左手中指の切開手術をしたこと、
一時帰国も重なり、1カ月以上二胡を弾かない日々が続いたでしょうか・・・
でもまた弾き始めました。
久しぶりに弾くとやっぱり二胡が好きって再認識し、
北京にいるんだからもっと勉強したいと言う気持ちが
1カ月休んだことにより強くなった気がします。
この年でもできるものなら大学で勉強したい、そんな思いが次第に大きくなり・・。
親友でもある今の二胡の先生は、もともと教えるのを休止していたところを
友達ということで無理にレッスンをお願いしていたのですが、
ここのところ少し体調が悪いこともあり、そんな私の気持ちを相談してみると、
「どんどん進化する二胡を勉強するなら大学の先生につくことは大賛成・・・。」
と応援してくれました。
そんなわけで、北京の二つの音楽大学に行っていろいろ調べましたが
週2コマのレッスンと週2コマの講義の進修班というコースですら
外国人の授業料は今年値上がりしたとかで、さらに高くなり、
しかもレッスンで教えるのは、大学の先生でなく研究生とのこと・・・。
最高学府中国の芸大、中央音楽学院に至っては、学費は中国音楽学院の倍ほど。
断念しかかったところで、中央音楽院の外国人留学担当の方が
「大学通わなくても大学で大学の先生に習えば同じじゃない??
例えば誰に習いたいの?具体的に??」
と単刀直入に・・・
「う~ん趙寒陽先生ですかね(笑)」
偉大すぎる先生なのでほんの冗談のつもりでした
なのに・・・その担当の方はいきなり受話器をとったかと思うと
「あー趙先生、今こんな日本人が来て、先生に二胡習いたいって。」
と私のことを説明しはじめ電話を切ったと思うと
「趙先生いいってよ」
さすが中国~・・・ざっくばらんっていうか、おおらかっていうか、
適当ともいえるけど、ほんとにストレート・・
日本だったらありえない・・・・・
趙寒陽先生といえば、奇しくも去年二胡愛好家の交流会で
外国人二胡愛好家として先生の前で二胡を弾いて
先生と一緒に写真を撮らせていただいたとがあり、
面識があると言えばあるのだけど、二胡界では雲の上以上・・天上界のお方
(でもふつーのおじさんにしか見えない)
あ~私ここでもミーハーしてた~(写真真ん中の方です)
趙寒陽 Zhao Hanyang
著名な二胡演奏家、二胡教育家。1954年江蘇省常州市生まれ、
中央音楽大学卒業後、同大学民族音楽部主任教授、
大学院指導教官を歴任。
中国民族音楽家として、ヨーロッパ、アジア諸国を歴訪し、
演奏会や民族音楽の講義を行う。
二胡関係の学術論文・楽譜集やCDアルバム・ビデオ教材などを
多数発表し、民族音楽への貢献を高く評価され、『中国音楽家名録』、
ケンブリッジ大学の『世界紳士録』にも紹介されている。
中国二胡学会副理事長、中国民族管弦楽学会理事。
そして悩んだ挙句、大学に通うことは諦め
趙先生のレッスンを今月から中央音楽院で受けることに決めました。
知れば知るほど奥の深い二胡、そして二胡曲・・・
私のようなまだまだ未熟者には猫に小判(たとえ悪い?)のような巨匠ですが
少しでも二胡の神髄に触れることができ
1、2年のうちに日本に帰られる今の二胡の先生
(先生は日本に帰化しています)が、
日本でまた音楽活動を再開されるときに
何かの役に立てるように成長したいという思いです。
あーあと10年若ければ・・・
でもおばさんでも夢を追っていいですよね
練習、練習っと・・・・
二胡のこと、ここのところ書いていませんでした
震災以来、二胡を弾く気がしなくなっていたのでした。
所詮二胡はお気楽な趣味の範疇・・・って気持ちがあり
弾いてはいけないような気持になっていたんだと思います。
そんなところに爪周囲炎になり、左手中指の切開手術をしたこと、
一時帰国も重なり、1カ月以上二胡を弾かない日々が続いたでしょうか・・・
でもまた弾き始めました。
久しぶりに弾くとやっぱり二胡が好きって再認識し、
北京にいるんだからもっと勉強したいと言う気持ちが
1カ月休んだことにより強くなった気がします。
この年でもできるものなら大学で勉強したい、そんな思いが次第に大きくなり・・。
親友でもある今の二胡の先生は、もともと教えるのを休止していたところを
友達ということで無理にレッスンをお願いしていたのですが、
ここのところ少し体調が悪いこともあり、そんな私の気持ちを相談してみると、
「どんどん進化する二胡を勉強するなら大学の先生につくことは大賛成・・・。」
と応援してくれました。
そんなわけで、北京の二つの音楽大学に行っていろいろ調べましたが
週2コマのレッスンと週2コマの講義の進修班というコースですら
外国人の授業料は今年値上がりしたとかで、さらに高くなり、
しかもレッスンで教えるのは、大学の先生でなく研究生とのこと・・・。
最高学府中国の芸大、中央音楽学院に至っては、学費は中国音楽学院の倍ほど。
断念しかかったところで、中央音楽院の外国人留学担当の方が
「大学通わなくても大学で大学の先生に習えば同じじゃない??
例えば誰に習いたいの?具体的に??」
と単刀直入に・・・
「う~ん趙寒陽先生ですかね(笑)」
偉大すぎる先生なのでほんの冗談のつもりでした
なのに・・・その担当の方はいきなり受話器をとったかと思うと
「あー趙先生、今こんな日本人が来て、先生に二胡習いたいって。」
と私のことを説明しはじめ電話を切ったと思うと
「趙先生いいってよ」
さすが中国~・・・ざっくばらんっていうか、おおらかっていうか、
適当ともいえるけど、ほんとにストレート・・
日本だったらありえない・・・・・
趙寒陽先生といえば、奇しくも去年二胡愛好家の交流会で
外国人二胡愛好家として先生の前で二胡を弾いて
先生と一緒に写真を撮らせていただいたとがあり、
面識があると言えばあるのだけど、二胡界では雲の上以上・・天上界のお方
(でもふつーのおじさんにしか見えない)
あ~私ここでもミーハーしてた~(写真真ん中の方です)
趙寒陽 Zhao Hanyang
著名な二胡演奏家、二胡教育家。1954年江蘇省常州市生まれ、
中央音楽大学卒業後、同大学民族音楽部主任教授、
大学院指導教官を歴任。
中国民族音楽家として、ヨーロッパ、アジア諸国を歴訪し、
演奏会や民族音楽の講義を行う。
二胡関係の学術論文・楽譜集やCDアルバム・ビデオ教材などを
多数発表し、民族音楽への貢献を高く評価され、『中国音楽家名録』、
ケンブリッジ大学の『世界紳士録』にも紹介されている。
中国二胡学会副理事長、中国民族管弦楽学会理事。
そして悩んだ挙句、大学に通うことは諦め
趙先生のレッスンを今月から中央音楽院で受けることに決めました。
知れば知るほど奥の深い二胡、そして二胡曲・・・
私のようなまだまだ未熟者には猫に小判(たとえ悪い?)のような巨匠ですが
少しでも二胡の神髄に触れることができ
1、2年のうちに日本に帰られる今の二胡の先生
(先生は日本に帰化しています)が、
日本でまた音楽活動を再開されるときに
何かの役に立てるように成長したいという思いです。
あーあと10年若ければ・・・
でもおばさんでも夢を追っていいですよね
練習、練習っと・・・・
3月1日から15日まで、先月の二胡検定の証明書をもらえる期間なので
行ってきました
合否は電話で聞けるはずで、それを確かめてから行くべきだけど、
その電話番号は毎回通じず、何のための合否案内なんだか・・・・
結局直接行って、合否を聞いて、そこで証明書をもらうという
いつもちょっとドキドキな瞬間です
受験票を渡すと、番号を照らし合わせ、事務的に
「通過了。(合格です。)」という一言、証明書を渡してくれました。
なんとか合格してました~
それに審査表という先生方の批評を書いた紙をくれます。
批評と言ってもあっさりしたものだけど
今回はそれでも結構いろいろ書いてくれてました。
行書でかなり読みにくいので完璧にはわからないけど、
いくつかの批評・・・こんな感じ
●換弦(右手の弦の移動)の時力を抜く。
●運弓(右手のボーイング)は弦に貼りつくように安定させる。
●音程が良い。
●左手の「手の形」が模範的である。
●練習曲の「両手配合練習」はもう少し音を強く。
●ビブラートが中途半端に終わるところがあるので
ビブラートの技術を強化する必要がある。
ちょっとおほめの言葉もありすっかり気を良くしてしまいましたが
いつも注意されてること、そして自分でも気が付かなかった指摘もあり
来週のレッスンにはこれを先生に見せて反省会をしたいと思います!
今回の試験のための練習は、ハードだったけど
多分今までで一番得るものがあったな・・・・・
とりあえず一安心
行ってきました
合否は電話で聞けるはずで、それを確かめてから行くべきだけど、
その電話番号は毎回通じず、何のための合否案内なんだか・・・・
結局直接行って、合否を聞いて、そこで証明書をもらうという
いつもちょっとドキドキな瞬間です
受験票を渡すと、番号を照らし合わせ、事務的に
「通過了。(合格です。)」という一言、証明書を渡してくれました。
なんとか合格してました~
それに審査表という先生方の批評を書いた紙をくれます。
批評と言ってもあっさりしたものだけど
今回はそれでも結構いろいろ書いてくれてました。
行書でかなり読みにくいので完璧にはわからないけど、
いくつかの批評・・・こんな感じ
●換弦(右手の弦の移動)の時力を抜く。
●運弓(右手のボーイング)は弦に貼りつくように安定させる。
●音程が良い。
●左手の「手の形」が模範的である。
●練習曲の「両手配合練習」はもう少し音を強く。
●ビブラートが中途半端に終わるところがあるので
ビブラートの技術を強化する必要がある。
ちょっとおほめの言葉もありすっかり気を良くしてしまいましたが
いつも注意されてること、そして自分でも気が付かなかった指摘もあり
来週のレッスンにはこれを先生に見せて反省会をしたいと思います!
今回の試験のための練習は、ハードだったけど
多分今までで一番得るものがあったな・・・・・
とりあえず一安心
二胡検定試験後旅行に行っていたので、すでに5日もたってしまいましたが
14日に検定試験8級終了しました~
8時半集合の検定試験・・・それも受験番号1番なので
朝15分ほど軽く練習した後、手袋にカイロを貼って
緊張の中、そそくさと会場中国音楽学院に向かいました
この緊張感・・・学生時代のピアノの試験を思い出す・・・・
15分前に着いたのにもうみんな集まってる
自分の名前を確かめて・・・・
「午前二胡受験番号1番・・・」
あるあるしっかり私の名前!!午前の受験者は40名、
二胡の試験は二日間にわたってあるので二胡受験者は
総勢受験者150名以上・・・
ほとんどが二文字か三文字の中国人の名前の中、
日本人の名前は目立つんですよね~
40名中もうお一人日本人が・・・・
スローガン好きの中国・・・ここでもしっかり掲げられています。
端正な態度で試験に臨み試験規則をしっかり守ろう・・ってな感じかな
そして番号を呼ばれたら、階段を上がって受験の部屋に・・・・。
「二胡受験番号1番から10番」
これが結構怖いのよね・・・受験の度に
女性警備員「あんた父兄でしょ??」ってまるで怒られてるみたい
私「いえ・・・私が受験生なもんで・・・・」
警備員「じゃあさっさと上がって」
子どもに混じって遠慮がちに階段を上る・・・
受験票チェックされ試験の部屋へ・・・。
えー
私、受験番号1番なのにもう誰か受験者用のいすに座ってる
なんでもこの子は今日用事があるから最初に弾く・・・ということで
勝手に私の受験番号はその場で2番に書き換えられました
1番・・・ってことで心の準備があったのに
試験官の先生お二人・・・
一人は以前にも試験官だった先生で、ちょっと安心・・・
そしてついに私の番が・・・
練習曲は、気持ちは結構落ち着いてたけど最初は指がしっくりいかず
無駄な動きが多くて自分でも焦ったけど
だんだん普通に動くようになり何とか間違えずに弾けました
曲は・・・まず葡萄熟了・・・
曲に乗るまでに時間がかかり、乗ってきたところで
「好!!(そこまで)」と切られちょっと悔いが残る~
洪湖人民・・・は自分でもびっくりするくらい気持ちが入ってしまって
最初の所は今までで一番うまく弾けた・・・・(勘違いかな)
前半は途中で止められ、後半速いテンポの所からまた弾かされましたが
一番苦手なところの前で「好!!」と切ってくれたので
何とか切り抜けました~
何人かの子供の演奏を聞いて・・・
私も途中で休んだとは言え、二胡を始めて7年が過ぎ、
小学生や中学生の受験生と同じくらいの二胡歴になるわけだけど
快弓(16分音符以上)の指の動きや、左指の弦を抑える時の
指の開きなどの柔らかさは絶対にかなわないし、もう上達はそんなに望めないと思う
それはスポーツでも他の楽器でも同じだけどやっぱり小さい時からやらないと
無理なところもある。
でもその代わり、音程(子どもの中にももちろん完璧な音程の子もいるけど)
をさらに正確に・・・
そして曲を深く理解してより豊かな曲想を付けることで
なんとか大人の味を出し、カバーする以外にないかなーと改めて思いました。
それにしても試験が終わった時のこの爽快感や達成感が
単純にも、また懲りずに次受けよう!!という思いを掻き立てるのでした
あと残すところ9級と10級(これは演奏家レベルで
かなりの技術と心構えが要求されるのでアマチュアレベルを超えています)。
目標としては9級まで・・・
夏に受けるかどうかは置いといて・・・
さあ!!これからはいろんな曲弾ける~
14日に検定試験8級終了しました~
8時半集合の検定試験・・・それも受験番号1番なので
朝15分ほど軽く練習した後、手袋にカイロを貼って
緊張の中、そそくさと会場中国音楽学院に向かいました
この緊張感・・・学生時代のピアノの試験を思い出す・・・・
15分前に着いたのにもうみんな集まってる
自分の名前を確かめて・・・・
「午前二胡受験番号1番・・・」
あるあるしっかり私の名前!!午前の受験者は40名、
二胡の試験は二日間にわたってあるので二胡受験者は
総勢受験者150名以上・・・
ほとんどが二文字か三文字の中国人の名前の中、
日本人の名前は目立つんですよね~
40名中もうお一人日本人が・・・・
スローガン好きの中国・・・ここでもしっかり掲げられています。
端正な態度で試験に臨み試験規則をしっかり守ろう・・ってな感じかな
そして番号を呼ばれたら、階段を上がって受験の部屋に・・・・。
「二胡受験番号1番から10番」
これが結構怖いのよね・・・受験の度に
女性警備員「あんた父兄でしょ??」ってまるで怒られてるみたい
私「いえ・・・私が受験生なもんで・・・・」
警備員「じゃあさっさと上がって」
子どもに混じって遠慮がちに階段を上る・・・
受験票チェックされ試験の部屋へ・・・。
えー
私、受験番号1番なのにもう誰か受験者用のいすに座ってる
なんでもこの子は今日用事があるから最初に弾く・・・ということで
勝手に私の受験番号はその場で2番に書き換えられました
1番・・・ってことで心の準備があったのに
試験官の先生お二人・・・
一人は以前にも試験官だった先生で、ちょっと安心・・・
そしてついに私の番が・・・
練習曲は、気持ちは結構落ち着いてたけど最初は指がしっくりいかず
無駄な動きが多くて自分でも焦ったけど
だんだん普通に動くようになり何とか間違えずに弾けました
曲は・・・まず葡萄熟了・・・
曲に乗るまでに時間がかかり、乗ってきたところで
「好!!(そこまで)」と切られちょっと悔いが残る~
洪湖人民・・・は自分でもびっくりするくらい気持ちが入ってしまって
最初の所は今までで一番うまく弾けた・・・・(勘違いかな)
前半は途中で止められ、後半速いテンポの所からまた弾かされましたが
一番苦手なところの前で「好!!」と切ってくれたので
何とか切り抜けました~
何人かの子供の演奏を聞いて・・・
私も途中で休んだとは言え、二胡を始めて7年が過ぎ、
小学生や中学生の受験生と同じくらいの二胡歴になるわけだけど
快弓(16分音符以上)の指の動きや、左指の弦を抑える時の
指の開きなどの柔らかさは絶対にかなわないし、もう上達はそんなに望めないと思う
それはスポーツでも他の楽器でも同じだけどやっぱり小さい時からやらないと
無理なところもある。
でもその代わり、音程(子どもの中にももちろん完璧な音程の子もいるけど)
をさらに正確に・・・
そして曲を深く理解してより豊かな曲想を付けることで
なんとか大人の味を出し、カバーする以外にないかなーと改めて思いました。
それにしても試験が終わった時のこの爽快感や達成感が
単純にも、また懲りずに次受けよう!!という思いを掻き立てるのでした
あと残すところ9級と10級(これは演奏家レベルで
かなりの技術と心構えが要求されるのでアマチュアレベルを超えています)。
目標としては9級まで・・・
夏に受けるかどうかは置いといて・・・
さあ!!これからはいろんな曲弾ける~
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